罵倒に揉まれて
私は創作物の好き嫌いが酷い。機能しないバウンダリーと脳内世界に対するこだわりが故である。
特に学園・スポ根は読めない。指導が厳しいコーチ・先輩が登場しただけで嫌悪が湧くからである。
幼少期は恐怖が湧いたが、最近はこういったキャラクターを見下す癖がついた。何が何でも、二度と明るい人生を送れないような精神状態にしてやる、と、架空のキャラクターに対して思うのである。
Twitter(現X)で似たような発言を目にしたことはないだろうか。私は日々、それを発信しないよう堪えている。
「助けてください」は届かない
この症状について、落ち着いて考えられる環境が先日整ったので、考察した。結論からお伝えする。
『神経発達症の当事者の努力は、定型発達には努力に見えない』のだ。
障害傾向の診断をされずに平成を生きた我々にとって、自分ではどうにもならないことを「努力でなんとかしろ」と言われることは日常茶飯事だった。
努力は本来、以前の自分より伸びていればOKなのだ。このことを伝えてくれる人もいるが、「ここまで努力しろ」と無理難題を押し付けてくる人の方が声は大きかった。
発達に問題がなければ、「傷ついても立ち上がれ」がある程度通用する。『怒られても立ち直る』『傷ついても立ち直る』というカタルシスは、普遍的によく描写される。しかし、我々は違う。境界線がないに等しいため、キャラクターが怒られたら我々も落ち込むのだ。結果的に、キャラクターの成長を感じる前に、キャラクターの傷を追体験した記憶だけが強く残るのだ。
糸口は作れなくもない
もしかすると、『発達凹凸当事者の学園もの』という大発明がされれば、楽しく読めるかもしれない。現在の伝統的スポ根は残した上で、別路線として作られてもいいのではないだろうか。


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