【自己分析file1】生まれてこのかた、力を抜いていなかったらしい。

何をいっているんだコイツはと、このページを開いた方はお思いだろう。文字通りである。

私は、力を抜いたことがなかった。

家にいるにも、外にいるにも、『力んで』いたのだ。頭で「頑張らなきゃ」と思うだけでなく、運動の際も体が常に固い。

おそらく原因は2つ。

①発達傾向

②周囲の環境

まず、私はADHDとASDを診断されている。情報が邪魔で、もっとも優先すべき事項に対する反応が人より遅い。5教科ができても、教科書の外に関する勉強が苦になる。ここを人並みにしようとしたのが『力む』人生の始まりであった。過剰なお人好しもここで入っただろう。そして私の学生時代に、勉強が問題なくできる子に対し障害を疑う事例はほとんどなかった。地方であるから尚更である。家族もコミュニティも「本人が努力すればなんとかなる」と信じて疑っていなかった。私は小学校時点で自分について「どこかおかしい」と思っていた。が、周囲から返ってきた答えは、当時ポピュラーであった『テレビの見過ぎ』であった。だから、『テレビよりも家族の時間を優先する、頭の機能に問題のない子』を務めるには、『力む』しかなかった。

次に、私以外の周囲にあった要因である。時代故のやむを得ない不理解が主要因だろうが、それ以上に影響ご大きかった人物がいる。同居していた祖母である。戦時下の疎開で地方に来た彼女は、早くに夫を亡くし、ほとんどシングルマザーであった。私は幼少期、彼女を一般的なおばあちゃんだと認識していたが、晩年は関わっていてかなり苦しかった。不都合が起きると『もう帰らない』『川に身を投げてやる』と言って家を出ることが度々あった。家族でよく捜索に出た。彼女の経歴を見ると仕方ないとも思うが、申し訳ないが彼女を『良いおばあちゃん』と認識することはもうできない。と、最近になってここに至るまで、『常に力んでいた』。というより、『力を抜ける場所』がなかったし、『力を抜いて良い』ことも知らなかったのだ。

この2つが原因で、私は『力を入れたまま』生きていた。ちなみに、気づいたきっかけは通っているジムでルームランナーだった。ふと、「私は体のどこに力を入れている?」と疑問が沸いた。そこから、体全体に力が入っていることが発覚したのである。そこで翌日、設定はいつも通りのまま、『体から力を抜いた』。こんなものでよかったのだ。今までの徒労を虚しくも思ったが、これからのトレーニングに対して、少し気が楽になった。

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